去年の8月のはじめ、彦根城で撮った写真です。
まだ、午後4時前で、明るい時刻でしたが、このあたりは、
木が生い茂って、うす暗く、ひぐらしの声が響いていました。
(そのため、写真は、ぼけていますが……)
鳴き声が聞けるサイトも、たくさんあるようですね。
メルマガに引用した歌は、 『源氏物語』の「宿木」から。
都の暮らしを憂える中の君が、宇治をしのんで詠んだ歌です。
~大方(おほかた)に 聞かましものを ひぐらしの 声うらめしき 秋の暮かな~
*******(夢子語訳)*******
あのままやったら、 たぶん、何気なく聞いとったんやろなぁ。
今は、ひぐらしの声が寂しいて、うらめしいぐらいに思えてくる
秋の夕暮れやわぁ。
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(夢子語:神戸在住の夢子が日常使っている言葉)
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エルム (月曜日, 22 8月 2011 16:38)
昔の人は森羅万象に自分の氣持ちを乗せて歌を詠んでいたのですね。素敵ですね。でもちょっと意地悪な私はひぐらしは本当に寂しくて鳴いていたのでしょうかって思ってしまいます。自分の務めを精いっぱい果たそうとしているだけなのかもしれないのに、人間って自分勝手だなって思ってしまいます。
でもちょっと最近自分は死を迎えようとしているのかなって感じます。よく最近今日を最後の日だと思ってというメッセージを聴くからです。日々いつお迎えがきても大丈夫なように心の準備をしなくてはなりませんね。
水辺のプリマ (木曜日, 25 8月 2011 16:34)
蝉の種類によって夏の季語だったり、秋の季語だったり
興味深いですね。
何度蝉の声を聞いても、あの声があの姿から??
不思議ですねぇ(^_^;)
神戸の言葉は柔らかい響きですね。
東に住んでいる者にはうまく発音ができません(*_*)
夢子 こと 山下景子 (月曜日, 29 8月 2011 00:24)
エルムさま
そうですね。
私たちは、自分の想いをヒグラシに重ねて聞いていますが、
ヒグラシは、自分の命を、精一杯生きているだけ。
でも、それは、私たちも同じで、だからこそ、
ヒグラシの鳴き声に、想いを重ねたくなるのだと思います。
ゲーテも、
「いつかは終わるのではなく、一歩一歩が終局なのだ」
というようなことを言っていますね。
そんな心構えで、毎日を生きれば、充実した人生が
送れることと思います。
夢子 こと 山下景子 (月曜日, 29 8月 2011 00:28)
水辺のプリマさま
本当に、不思議ですね。
それがまた、大自然の魅力ですけど。
神戸の言葉は、たしかに、やわらかい響きです。
たしか、関西弁の方が、関東の言葉より、
音程が少し多いということを聞いたことがあります。